人間は心にも栄養が必要

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病気は気からと言うように、気の持ち方が非常に大きく影響します。「患者」の「患」は心に串と書き、心に串のように何かが刺さってこだわると、「わずらう」ことになり、「わずらう者」患者になってしまいます。

心の持ち方でいくらでも病気にもなれるし元気にもなれます。それを分かりやすく説明している人がアメリカにはかなりいます。そのうちの1人がルイーズ・ヘイです。彼女は子供の頃、虐待を受けました。その後の人生も、離婚を始め数えきれないほどの苦難を体験しました。

50歳の頃、子宮ガンを告知されましたが、自分の心の深い恨みを徹底的に浄化、自然療法でガンを克服したのです。その体廉から、「自分の考えや発想を変えれば病気を治せる」と、心の潜在的なクリエィテイブパワーを目覚めさせることで病気を治せる事実を、人々に伝えた世界的に有名な人です。

彼女が執筆した本に、「このような思いの人が、このような病気にかかりやすい」といすいすいうものがあります。

そこである時ふと、三浪し、膵臓病を患った私の弟を思い出し、「膵臓病」の心因という所を見てみました。すると「挫折と人生への失望感」とあり、これはほんとうにあたっていると思いました。

実際、医者が治せないと言った弟の膵臓病が、アメリカに行き、自分のサバイバル(生存) と希望で大忙しになったとたんに、すっかり消えたのですから。

この訳本は絶版になっているのと訳が非常に下手だったので、私達が主な要点を訳し、この本の最後に加えました。

私は多くの人を見てきて、8割ぐらいの割合で当たっているように思えます。とても面白くて参考になります。人間は心配、恐れ、怒り、済んでしまったことをクヨクヨするなどを繰り返すと、活性酸素も増え、気のエネルギーが下がり、必ず病気になります。

いつも素直に、何にでも感謝し、できるだけ周りに何でも(知識・親切・思いやり・ほめ言葉・情報) 与え、肯定的に積極的に、そして自分の良心の声に従ってベストを尽くして生きる。そしてあとは心配しないで、運は天にまかすというような生き方が理想です。

しかし人生は苦しいこと、困難もいっばいなので、心の発想を変えエネルギーを上げる友達、活動、家族、本、講演会、先生、自然、芸術など、心のエネルギーチャージをできるものが必要なのです。

人間が他の動物と大きく異なるのは、心・精神・考える力があることです。人間は動物のように体の栄養だけでは生きられないのです。心にも同じように栄養が必要なのです。

生きるための指針、指導、助け、相談にのってくれる相手、場所が必要なのです。でも、今、日本にはこういう人間の当たり前の心・精神の必要を満たせる所がほとんどないのではないでしょうか。

アメリカの医療と日本のそれとの違いは大きく、日本では2~3時間待たされ、診療時間はたったの5分ほど。アメリカでは、どこへ行っても親身になって最低1時間ほど話を聞くのに時間をかけてくれます。

愛情、患者への細かい配慮を始め、医者としての知識、情報、治療法などは、日本では想像もつかないほど素晴らしいのです。また、日本では老人のたまり場が、病院や町医者の待合室だとも問いています。いつもの顔ぶれが待合室に見えないと、「○○さんは今日どうしたのだろう。まさか病気じゃないだろうね~」という笑い話もあるそうです。収益増やすことだけを考えがちな日本の医療制度が、腐敗を招いている、ンステムです

患者に不必な薬をたっぷり与えて、不当な収入を得ている医者もいるほどです。これが政府の30兆円という予算の多くを食いつぶしているのです。

現代医療には本当にあきれてしまう日本の医療の現場が赤裸々に書かれています。

日本も医薬分業になりましたが、アメリカではずっと昔から、医者が薬を出して儲けることは全くできず、医者は処方箋だけ書き、患者がそれを持っていき薬局で薬を写っだけでした。化学薬品は一時的に症状が改善するかもしれません。それでは根本的な原因は解決されないのです。悲しいかな、多くの人々は、病気は医者へ行って薬か注射で治してもらうという古い観念にとらわれているのです。

このような古い日本の医療の変革を待っていたら、日本人は元気になれないどころか、その前に死んでしまいます。

昔、日本には儒教があり、道徳があり、人間はどのように生きるのが良いかを教えられました。大家族で生活していて、祖父母からも生きる指針や知恵も学べました。また、井戸端会議糊でおせっかいやきのおばさんが、若い女性の相談にのったり、知恵を与えたりしていました。

法事か何かの時、内容はどうあれ、インチキ坊主でも、少なくても「人間はこう生きるべきだ」と、しかるべきお説教をしてくれて、何らかの心・生き方・精神の詰も自然体で聞かされていました。

しかし、現代の生活ではどんどんひとり暮しも増え、心を開ける場所・相手もなく、生きることに対して、話を問いてくれたり、指針ヤアドバイスをくれたり、知恵をくれる所がほとんどないのです。ですから、人間として当たり前の心や精神の空腹を満たすために、急におかしな宗教に入ってしまう人が出てくるのでしょう。