噛まない・噛めない現代人

最近は、スナック菓子やファストフードで育った人や、やわらかくおいしくなければ食べないという軟食グルメ志向の人が増えてきているのですが、このような食物は、もともとやわらかいですから、「噛む」のに苦労することはありません。ですから、噛む回数は少なくてすみます。だとすると、現代人の「噛む」能力は昔の人よりも低下してきていることが考えられます。

これを調べるために、私たちが現代と過去の食事を比較する調査実験を行ったところ、「現代人は弥生時代の6分の1 しか噛んでいない」ことが推定される結果が出ました。

実験では、弥生時代、平安時代、鎌倉時代、江戸時代(初期、後期)、戦前、現代の、それぞれの時代の食事を再現し、20歳代の学生たちに食べてもらい、それぞれの岨囁回数と食事時問を測定しました。

弥生時代(2〜3世紀ごろ)の食事は「魏志倭人伝」の記録を参考に復元しました。当時は、クリ、クルミの乾燥したもの、カワハギの干物、アユの塩焼き、ハマグリの潮汁、ナガイモの煮物、ノビル(野生のネギ)などをおかずに、主食には「もち玄米のおこわ」を食べていたようです。これらは、もしかしたら幻の女王、卑弥呼も食べていたかもしれません。

いずれの食材も加工や調理はわずかです。その中で、蒸したての玄米おこわは数分のうちに鉛玉のように硬くなります。箸でもつかみにくいおこわをよく噛んでドロドロ状態にし、飲み込めるまでにすることの大変さに、学生たちは驚いていました。最初は砂利を噛む面もちで戸惑っていましたが、よく噛んでいくうちに甘味や玄米独特の風味を感じたためか、「案外いける」と好評でした。この食事の阻噛回数は3 990回、食事時問は51分(13 02キロカロリー) でした。

このような方法で調査実験を行い、各時代の測定結果を出しました。そして次に、現代食として、ハンバーグ、スパゲッティ、ポテトサラダ、コーンスープ、プリン、ロールパンなどを選んで食べてもらいました。学生たちは喜んで食べ、食後、まだ食べ足りないという表情を見せていました。この現代食の岨噛回数は620回、食事時間は1分(2025キロカロリー)、現代人の咀嚼回数は弥生時代の6分の1以下、食事時問も5分の1という結果となりました。

戦前の家庭食と比較しても、歴史的にはわずか数十年という驚くほどの短期間で、現代人の噛む回数と食事時問が、ともに2分の1以下に激減したという事実は、本当に驚くべきことです。

さて、私たちはさらに、現代日本人について、一口当たりの岨噛回数を調査してみました。その結果、小学生・大学生の平均値は10.5回でしたが、噛まない人はなんとわずか2〜3回、あるいは離乳食を食べるように舌でこねてから飲み込んでしまう(岨嘱しない)人もいました。

肥満傾向の人にはこの噛まない早食い癖が顕著に見られます。以上、述べてきましたように、戦後日本の社会構造の急激な変化は、家庭の食生活までをも激変させ、スナック菓子やファストフードが氾濫し、子どもから大人までがグルメな軟食を追求する飽食の時代が到来しました。

その背景には「噛むしつけ」が家庭から消滅したという現実があります。実は、この現象は日本だけの問題ではなく、経済的に発展を遂げた欧米先進国や急速に近代化する発展途上国が抱える共通課題なのです。それぞれの国で伝承的に築いてきた文化や食環境を放棄したことによる生活習慣病の顕在化に、今やっと世界の人々が気づき始めています。

噛むという行為は、顔の筋肉を動かし、細胞に物理的な力を加えるほか、歯を使って食物を細かく砕き、唾液と混ぜるなどの複雑な作業です。これらの複雑な動きから、先ほどご紹介した「卑弥呼の歯がいーぜ」でまとめたような驚くべき効用が生み出されるのです。

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