一口に30回噛む理由

さて、ここでもう一度、なぜ一口30回、一食当たり1500回噛むことが目標なのかを考えておきましょう。

時代の食の復元実験で、戦前の普通の日本食では一食当たり14200回噛んでいることが観察されたの確認されています。

一口当たりでは、20〜30回程度の回数になります。これは江戸時代初期の徳川家康の食事の阻噛回数とほとんど同じですから、日本人にはおおむね400年間にわたって、一口当たり20 〜30 回程度、しっかり噛む習慣が伝承されていたと考えられます。

ただし、13代将軍徳川家定の食事では一食当たり1000回程度に減少しでいますが、現代人の620回よりはかなり多い数字です。

つまり、日本人は、戦後半世紀の問に急激に噛まなくなったといえます。一方、英国リーズ大学生物学教室の一口での最適な噛む回数として、理論的には20〜25回、被験者による測定では25〜31回という数値を科学雑誌「ネイチャー」に発表しました。

この理論値とは、食物を噛んで唾液と混ぜた場合、最も粘着力の大きな混合物が形成され、やわらかなお粥状態の塊(「食塊」といいます) をつくるために必要な阻噛回数です。

なぜ、こうした「食塊」と呼ばれる状態がよいのか、解説しておきましょう。日常の食事で、私たちは、おいしさ(味覚)や歯ごたえ(食感) は意識しても、「のど元過ぎれば、熱さを忘れる」ということわざがあるように、飲み込んだあとは意識しません。

しかし、いくら楽しみながらよく噛んで食べても、食物をのどに詰まらせては台無しです。食物が口から胃に入る過程では、次のような赦密な身体構造と巧妙な生理的反応が働いています。

まず、唇、舌、歯をじょうずに使って噛み(咀嚼)、口に入れた食物が唇からもれないように、舌の上にある食物を口の奥(軟口蓋) に送ります。

次に本人の意思と関係なく、食物は反射的にのどのさらに奥(咽頭部)に移動し、飲み込む(膝下)直前の状態になります。膝下反射により、舌骨(のど仏) が喉頭蓋を動かして気管にふたをし、誤飲しないように食物を食道に誘導するのです。

そして食道のぜん動運動によって、食物を胃に運びます食物の種類によって、最適な阻噛回数は多少異なりますが、よく噛んで食べるには、食物をある程度小さい破片に細かく砕くことが必要になります。そして、同時にその砕かれた食塊の粘着力が強いことも欠かせません。

なぜなら、食物を砕いても、粘着力がないとバラバラになって分散するので、飲み込みにくいからです。その食塊に適切な粘着力があると、飲み込むときに食物がばらけないで食道に流れやすく、食べたものが気管に入り込む危険を防いでくれます。

この研究は、実際に人を使って、食物を口に入れてから飲み込むまでの咀嚼回数を測定してみたところ、理論的に推定された食塊をつくるのに必要な噛む回数とほぼ一致したという実験報告でした。

つまり、食塊をつくるには、理論的にも実際にも25〜30回前後は噛むことが必要であるということを示しています。

これをもとに考えますと、とくに高齢者では食物が間違って気管に入って起きる誤嚥性肺炎を少なくするためにも、ふだんから一口30 回を目標として噛み、口の中で「食塊」をつくって食べる習慣をつけておくことが大切だということになります。

ちなみに、現代食を食べる大学生や小学生は一口10.5回という調査結果がありますから、通常の3倍程度噛む目標を立てて、しっかり噛む習慣をつけるとよいでしょう。それには、噛みごたえのある食物を意識してとるようにして、ゆっくりと楽しく味わいながら食べることが必要です。